こどもたちの給食風景は、なかなかのドラマがあります。
ちゃぶ台に座って食べているわけですが、
「○○ちゃんと、いっしょにたべようっていってたから、ここすこしずれて」
「え~!こんなに狭いじゃん」
「だからさ、約束していたんだもん、ずれて」
「ほら~!あ!スイカおとしちゃったじゃん!かわいそう」
「それは、お皿にのせちゃだめだよ。いま、おとなを呼ぶから、まっててね」
ということを、
やりとりしているのをみていたら、こども同士の気持ちの行ったり来たりは、ちゃ~んとできているんだなあって感心しちゃうのです。
この、スイカをおとした時点で、おとなで気が付いてくれる人がいなかったので、どうするのかなあとおもってみていたら、
じぶんたちのこまったこと(このちゃぶ台でみんなで食べることをどうするか?!)をやりつつも、
さらにこまった現象(スイカを落としたけど、だれもおとなが気がついてくれない)を、
こどもたちで「なんとかせねば」とおもって、おとなに頼んでるのに
「声がとどかな~い」ってことを、
なんとかクリアするために「声」をあげつづけ、
ようやく通りすがりの給食のおばちゃんが
「あら~!だいじょぶよ!おかわりはい~っぱい用意してるから」
といってその場に声をかけてくれていました。
日常が心理的安全性に富んでいたら、
こどもは「できないこと」「こまっていること」「わからないこと」「じぶんはこうおもうこと」を出すことができ、
場が「そのこ自身」にゆたかな場になるのです。
みそのは、そういうところは、すごく大事にしていきたいと思っています。