表現
いっせいに、芽がではじめた「プランターやさい」。
小さい芽をぬかなくちゃいけないんだけど、なかなかうまくいきません。
ぬきすぎちゃったかなあとおもったり・・・ムズイ。
にわか農業はうまくいきません(笑)
8がつごろに 1日ですが、農業修行に行ってまいります。
なんでも、やってみないとわかんないよねっ!
そうそう、なんでもやってみないとわかんないっていうのは、ほいくえん就職してからもありました。
それは、「絵を描く」ってことをクラスでやったら、なぜかみんなにたりよったりの絵でした。
保育士になりたてのわたしは、
「あれ?こうやって描いてね」っていってないのに、
「こどものイメージってこんなふうにほとんどいっしょなのかなあ」
とおもってみていました。
そのころのじぶんを振り返ったら・・・。
まあ!流行にすぐ飛びつき何でも、みんなと一緒のことをしちゃうことがたのしかったんですよね。
そんだもん、こどもたちがおなじような「絵」をかいても、そんな感じかあ~で、そのときは、終わっていたのかもしれません。
それから、何年してもどこのこどもたちも、おなじような「絵」になることに「?」と、思い始めました。
こうなる「原因」はなんだろう?って。
そのこたえは、「たぶん、おとな」だな「担任のじぶんなんじゃないかな」とおもうようになり、「絵」をかくことを真剣に考え始めました。
わたしなりの考えは「絵」って表現のひとつだよねえ。
それなら、その「表現」するまえの「からだをとおす経験体験」が大事なんじゃないかなと、いうことにたどり着きました。
そこから、「こどものじかんをかたちのないもの、さだまらないもの」の自然の中で暮らすということが、「表現」したいことの土台やわらかさをつくってくれるんじゃないかとおもって、いまもそうやった過ごしているのであります。
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