不思議光線
わたしが、こどもとすごしてきた時間はとてもながく、生きてきた時間のほとんどがその時間になってうれしいかぎりです。
こどもたちに、世界を広げてもらったなあと、思うのです。
なんでも、どんなことでもやってみたいと思うこどもたちは、「不思議光線」をずっと出しています。
「それってなに?」「これってどういうこと?」がいっぱいで、おとながこたえるのも、おいつかなくなるほどです。
保育園には、7月ごろまいとし「タマムシ」が羽に太陽の陽をうけながら、地面と平行に空高くとぶのです。
その姿をみつけ、手のひらに乗せた時のこどもたちの顔。
とにかくうつくしいんです。
「これは、なんていうむし?」と毎年騒ぎが起き、「何をたべるの?」「どの木が好きなの?」「冬はどうしてるの?」の「不思議光線」のあらし。
「そ~だよねえ。どういう木にいるんだろ?」と重たい図鑑を広げてあたまをよせあって、こどもとおとなで研究者になってしまいます。
「えのきの木にいるんだってさ」「北海道にはいないんだって」「見かけるのは7月ぐらいまでなんだってさ」「いばらきけんにもあんまりいないんだって」とかとか。
おとなになったわたしが、知らなかったことを、こどもたちとの時間で教えてもらう。
わたしが思うに、こどもたちがこうやって「不思議光線」をおとなたちに浴びせてくれるおかげで、「もう一回、こども時代をやらせてもらえる」んですよね。
こどもの時間はおとなの時間なんです。
そうおもったら、おとながこたえるのも、おいつかない「不思議光線」にまきこまれるのも素敵なことなんです。
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