土台作り
むしあつい一日でした。
こどもたちのようすといえば、すっかり水遊びが多くなってきました。
おきがえのお洗濯も大変かとおもいますが、
よろしくお願いします^^。
どろんこって、おとなになったらなかなかやらないですよね。
イベントで「田植え」とかあるときは、やっちゃうひとたちもい~っぱいいますけど。
みずからどろんこあそびってことには、なりませんよね~。
うみだと、なぜかはなしは、べつで、おとなでも、砂だらけになっても、あたまからうみのみずをかぶっても、「あ~きもちよかった!」で、終わっちゃうことの方が、多い感じですよね~。
この違いは、なんだろうなあっていつもおもっちゃうんですけど。
こういうことのように、ひとには「わからない感覚」ってたくさんあるのです。
おとなになったら、「わからない感覚」をなんとなく、「こたえ」をさがしあてようとしてしまう、そこに「意味」があるのかどうなのかを、考えちゃうんですよね。
なんでなんだろうねえ。
考えても、所詮頭の中での理解で、実際じぶんが体験して感じえたことではないから、「じぶんにとってのことばやこたえ」にならないんじゃないかなと思うんです。
こどもたちって、おとなからみたら「意味ないこと」にみえることをやっているようにみえるけど、実際はおとなより素敵なんです。
あたまでかんがえないで、「じぶんの感覚」でやっていて、じぶんで失敗しておこられたり、かわし方覚えたり、友達の気持ちをかんがえたり、おとなへ伝えたいことを全力でやったり(ないたり、わめいたり、騒いだり、地団駄踏んだり・・・^^)。
それで、じぶんの感覚をたしかめているんですよね。
そういうことを、こども時代にたくさんやれたらいいとおもっています。
じぶんとつきあい、じぶんの土台をつくれる年齢だから。
だから、ほいくえんでは「あそぶ」じかんを
たくさん保障したいなって思っているのです。
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